■防護服の男 (1)
(記事中の敬称は略しています)
福島県浪江町の津島地区。
東京電力福島第一原発から、約30キロ北西の山あいにある。
原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。
小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。
菅野(かんの)みずえ(59)の家にも、朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。
多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。
築180年の古民家を壊して、新築した家だ。
門構えが立派で、敷地は広い。
20畳の大部屋もある。
避難者を受け入れるにはちょうどよかった。
門の中は人々の車でいっぱいになった。
「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」
人々はとりあえずほっとした表情だった。
みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。
着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。
夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。
一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。
一、炊事や配膳はみんなで手伝う。
一、お互い遠慮するのはやめよう……。
人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。
みずえは家にあるだけの布団を出した。
そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。
中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。
しかしよく聞き取れない。
「何? どうしたの?」
みずえが尋ねた。
「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」
みずえはびっくりした。
「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。
「放射性物質が拡散しているんだ」
真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。
2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。
役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。
なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。
だいたいあの人たちは誰なのか。
みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form
>以下(12)まで続きます。
朝日新聞に掲載された記事まとめです。
まるきゅ~@九拝
0 件のコメント:
コメントを投稿