2011年10月15日土曜日

あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実

■防護服の男 (1)

(記事中の敬称は略しています)


福島県浪江町の津島地区。

東京電力福島第一原発から、約30キロ北西の山あいにある。


原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。

小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。


菅野(かんの)みずえ(59)の家にも、朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。

多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。

築180年の古民家を壊して、新築した家だ。

門構えが立派で、敷地は広い。

20畳の大部屋もある。

避難者を受け入れるにはちょうどよかった。

門の中は人々の車でいっぱいになった。


「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」

人々はとりあえずほっとした表情だった。


みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。

着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。


夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。

一、炊事や配膳はみんなで手伝う。

一、お互い遠慮するのはやめよう……。


人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。

みずえは家にあるだけの布団を出した。


そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。

中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。

しかしよく聞き取れない。


「何? どうしたの?」

みずえが尋ねた。


「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」


みずえはびっくりした。

「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」


車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。

「放射性物質が拡散しているんだ」

真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。


家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。

2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。

2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。

役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。


政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。

なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。

だいたいあの人たちは誰なのか。


みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form


>以下(12)まで続きます。

朝日新聞に掲載された記事まとめです。


 まるきゅ~@九拝

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