2011年3月29日火曜日

今のメディアのあり方。

いよいよ、始まりました。


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20313020110329?feedType=RSS&feedName=topNews


内容難しいですが大切なことなので、きちんと読んでそれぞれ解釈してみてください。




当然、そう言う流れになるでしょう。



電気のカラクリが暴かれて。


民間企業、一般市民がもうすこし電気に対して「口出し」できるようになれば、世界は変われる!!






今日の新聞に、かなり生々しい記事が載ってました。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011032990065850.html






でも、

http://twitter.com/loveyassy/status/52375827333136384#

何処かで聞いたことの有る言葉!?



「一億総懺悔」


自分の言葉では無いですが、何日か前に書いた日記で書いてました。

http://maruqyu-at.blogspot.com/2011/03/blog-post_18.html

この考え方は、今の状況から脱する為には忘れてはいけないモノだと思います。


それを、理解させれなければ、「今のメディアの生き残る道」しいては、国民の未来は無いと思います。

2011年3月25日金曜日

第4日目。03/04

ようやく、続きへ移れそうです。


と、言っても随分間が空いてしまったので、忘れかけてるかも。



プノンペン市内、「王宮博物館」。

ここは、お腹が痛かったのと、写真撮れる場所が少なかった為に、ほとんど撮ってません。




「銀寺」だったかな?

菩提樹の大木の前でお参りをする現地の人かな?



「トゥールスレン収容所」

ここは、ポルポトが囚人を集めていた収容所です。

暑かったカンボジアでも、この中の空気は凍り付いてました。



日本人観光客は1人もいませんでした。

色々な思いの交錯する場所です。




「キリングフィールド」の慰霊塔

大きさが伝わり辛いですが、ホントに大きな塔です。

この中には、掘り起こされた頭蓋骨が積み上げられています。


ここも、ポルポトの残した「負の遺産」が生々しく残っている場所です。



建前上、ポルポトと言う名前を挙げていますが、自分はこの人が全て悪かったワケでは無いと思っています。

政治的な、やり取りの中には『中国』との接触もあったようですし、当時のお金の流れを見ても『日本』も全く無関係ではなかったと思います。


観光として楽しい場所では無いですが、こういうトコロには一度は訪れてみると良いと思います。



日本人であれば一度は行って欲しいトコロ。


・『原爆ドーム』


今となっては、取り返しの付かない状況になってしまいましたが、過去の『負の遺産』から学ぶことは沢山有ります。

これから先、国民全員が何をしていかなければいけないのか?

きちんと、現実を見つめて向き合っていかないといけないと思います。





「キリングフィールド」の直ぐ脇には小学校が有り、「子供たちの笑い声」が溢れていました。

なんだか、色々な意味で救われました。


どんな、状況でも『子供の笑顔』は希望を与えてくれます。

何よりも大切にしないといけないモノだと実感しました。





この日は、プノンペンからタイのバンコクへ。

やっぱり、レシプロエンジンのプロペラ機での移動でした。


タイに着いて早速タイ料理。

「トム・ヤム・クン」も美味しかったです。



この後、レストランの近くのホテルに入ったのですが、外が賑やかだったので散策してみました。





基本的に海外は貧富の差が日本よりも格段に有るので、華やかなトコロは随分活気が有るように感じます。




「偽物市」かな?

日本人は1人も居ませんでした。

誰か誘えば良かったと、1人で出てきた事を少し後悔。





さっきの、市場の脇には当然の様に「ストリップ・パブ」?が有り、更に一本道を逸れると相当ピンクな街が広がってました。

尚更、1人で来てしまった事を後悔。

適当な『バー』のビール一本で潜入取材。

入ってから気付きましたが、ここは「オカマ・バー」でした。(笑)



これが、後で知らされたのですが、結構命がけでした。


要するに、タイとカンボジアの国境付近で暴動が起こっている為に、カメラを向けると危ない場合が有ったらしいです。





無事、ホテルまで帰って来れました。


生きてて良かった~。

2011年3月23日水曜日

冬眠終了。

まだまだ寒かったですが、


春の準備で、オイル交換・給油をしてきました。





原発の様子も、一山越えれそう?

今週越えれなければ、致命的なトコロまで行ってしまうかな?




で、被災地にボランティアで入る可能性が見えてきたので、ちょこちょこ準備も始めました。



梅の花が綺麗でした。

でも、やっぱり寒かった。



いい加減、タイヤも替えました。




外で作業をすると、まだまだコタツが欠かせません。



チョコとコーヒーも欠かせません。



状況が落ち着いたら、「カンボジア・バンコクの旅」の続きも再開しようと思います。


これからの課題は沢山残ることは確かですが、このまま沈静化してくれる事を摂に願います。

2011年3月21日月曜日

「梅の花」

今日は、仕事で「梅の花 長久手店」へ行ってきました。




湯葉の料理が有名なトコロみたいです。



中庭?




「竹酒」と言うモノを初めて頂きました。




「溶岩焼き」

遠赤外線で肉が軟らかくなるそうです。




デザートは、「小豆の羊羹」と「梅のお菓子」でした。

2011年3月20日日曜日

この人、総理にしようよ!

http://www.ustream.tv/recorded/13373990?lang=ja_JP

結構、色々なブログでも上がっているので、私も賛同します。


後で気付いた事ですが、毎月買っていた雑誌の先月号で特集記事を書いてました。



DAYS JAPAN

2月号

「次世代エネルギー最前線」


興味有る人は、バックナンバー手に入れるべし!


本当に為になる雑誌です。




「田中 優」さん

総理大臣とまでは言わなくても、都知事になって今の東京から原発の無い世界に作り変えて欲しいです。


日本の仕組みを根本から作り変える為なら、何でも協力したいと思う一国民です。

2011年3月19日土曜日

これから生まれてくる子供達へ

「ほんとうに、ごめんなさい。」


私たちは、止めることが出来ませんでした。







『一億総懺悔』


戦後の復興を支えてきた影の部分。


気付いていながら見てみぬフリをしてきた闇の部分。


これから何十年・何百年と、つぐなっていかなければいけない『負の遺産』。












自分は、

・30歳

・男

・未婚



でも、一番最初に犠牲になるのは、罪を犯した自分たちではなく。


今居る『こどもたち』



それから『女の人』と、そこから生まれてくるであろう未来の『こどもたち』






そこまで知っていながら、止めることができなかった罪は大きいし、その代償もまたはかりしれません。





これは「誰かのセイ」では無く、その恩恵にあやかって来た「全ての国民」の問題です。




つらい現実から目を背けていても、先へは進めません。

自分同様、罪を犯した全ての人たちへ、


『一刻も早く、気付いてください。』

『今何処で何が起きているのかを理解してください。』


心より祈念いたします。

2011年3月18日金曜日

お彼岸の候



本日、勤め先にて「春期彼岸法要会」が行われました。

沢山のお参りありがとうございました。


同時に、「東日本大震災被災物故者慰霊法要」も行いました。





監院老師(かんにんろうし)より、ご法話いただきました。


「一億総懺悔」(いちおくそうさんげ)

戦後の日本の奇跡的な復興を支えたのは、その心だったのでは無いでしょうか?


誰が悪いのではなく、みんなで『ゴメンナサイ』と。


震災の被害も落ち着かないうちに、原発の問題も追い討ちをかけてしまい『負の連鎖』が止まらない現状。

「誰か」・「何か」のセイにして、逃げていても先は見えてこないと思います。



出口の見えないトンネルの中を歩いているような状態が続いていますが、生き残ったモノの務めとしてとにかく今は先を見つめて進むしか無いのです。

その先に必ず光は有ります。



『生』(いのち)有るもののしがらみの有る私たちは、直ぐに現地へ援けに行くことが出来ません。

ですが、それを嘆くのでは無く発想の転換をして見ましょう。


亡くなった方の魂がやすまる様に「お経さん」を唱えて、逆に近くに来ていただくと信じて祈りましょう。





これが、私たち僧侶・残された者にできる最大の布施業ではないかと思います。





最後になりましたが、お参りをしていだだいた方々からの沢山の義援金。

「ありがとうございました。」

お彼岸の間も集めて、最終的に責任を持って現地にお届け致します。

その後の報告も、このサイトより「まるきゅ~」が責任を持って行います。




今後とも、ご協力のほど宜しくお願いいたします。

2011年3月17日木曜日

明日は、

18日、午後1時より職場で、「お彼岸法要会」を行います。




併せて、「東日本大震災 殉難横死者追悼大施餓鬼会」も行います。


名古屋より、日本中・世界中の被害に見舞われた多くの方々。

ご冥福をお祈り致します。

2011年3月16日水曜日

自宅でのんびり

今日は、仕事が休めたので自宅でのんびり。



と、言うわけにも行かなかったので、色々動き回っていました。



午前中は、もっぱら情報収集・解析。

午後からは、部屋の片付け。



色々な場面で、錯綜している情報の収集・解析は、本当に大変。

それでも、この混乱期に必要な情報は、きちんと整理しておかないと取り残されてからでは遅いので、「備えておいて憂いは無い」と思います。



午前中にはある程度目処がついたので、しばらく物置と化していた自分の部屋を少し片付けました。

カンボジア旅行の時の残骸も未だに整理できていないので、隅の方に追いやられています。

最優先事項を見極めながら、色々整理して行こうと思います。

2011年3月15日火曜日

携帯より至急の投稿

情報収集の一つとして、ラジオも使って下さい。

緊急対策だと思いますが、名古屋・土岐市でも東京のFMが聞けるようになっています。

名古屋では、80、7
土岐市では、78、9

ですので、試してみて下さい。

2011年3月14日月曜日

原発事故の被害を最小限に食い止める為に?

本日の名古屋の夕日。



明日も、これが今日と同じように見られるのかな?





これ以降の投稿については一般公開しないつもりなので、必要だと感じるなら読者登録又は、直接連絡をお願いします。



申請有れば、基本的には受け入れます。



『原発事故』が最悪のカタチを想像できるように成ってきた今となっては、伝えれる情報は相当慎重にしないといけないと思っています。

混乱からは、2次災害・3次災害を拡大させるだけです。



本日の夜起きる事は、相当速い速度で進むと思います。

事態は、一刻を争う状況になって来ています。




生き抜くために何が重要か?

それは、生き物が本来持っている『動物的カン』では無いかと思います。

直感で動かないと間に合わないぐらい速い速度で、事態が変わりはじめました。



昨日、外せない仕事で名古屋の老舗料亭へ行ってきました。



原発関連の話も上がりました。

その席では、鉄の製造工場の社長さんも居ました。






情報は、あらゆるトコロから入ってきます。

そこで重要なのは、その情報を整理するための正しい知識だと思います。

2011年3月12日土曜日

本日の「モーニングセット」

福島第一原発、『炉心融解』直前!?


カウントダウンのタイムリミットまであと数時間か。


こうなることは、随分前から指摘されてて気付いていたけど、いざその瞬間が近付くと流石に落ち着いてはいられないね。




緊急停止から24時間?


冷却装置の不具合から、

熱暴走までに、

それくらいの余裕が有る事が分かったので、昨日は早めに寝ました。


起きてみて被害状況を確認しても、被害は増える一方。

原子力関連の被害もさらに拡大しそうな状況ですね。



今まで、耳を塞いで目を伏せてた事の大きな『ツケ』がそろそろ回ってくる時期かもよ?


今日のモーニングセットは、

「名古屋こうちんのプレーンオムレツ」

「フェア・トレード珈琲」

です。



朝からしっかりご飯が食べれる幸せ。

かみしめてます。



今日も仕事だけど、どうでも自分じゃなきゃいけない仕事じゃないし、適当に引き継いで、復興支援のボランティアにでも行こうかな?

2011年3月11日金曜日

第3日目。03/03


アンコール・ワットの朝。

2日目と同様、雲が多くて朝日も中途半端にしか見れませんでした。

帰りがけに後ろを振り向いてみたら、木の間から少しだけ顔を出してくれました。

ほんの一瞬の出来事でした。





ホテルに帰って、朝食。

シェムリアップのホテルには2泊しました。

この日はこのあとチェックアウトして、プノンペンのホテルへ移動。

ホテルを変えると荷物の移動が大変でした。


帰ってから気付いたのですが、多分このホテルにipotを忘れてきたような~。

高いチップになりました。




アンコールワットのCAFEへ。

日本の女性が経営している綺麗なお店でした。

有名なお店らしく、日本の観光客も沢山お土産を購入してました。




遺跡の中に住む子供たち。


どの観光遺跡へ行っても、お土産品を売り歩く子供たちの姿が目立つのですが、ここでは様子が少し違うようです。



先ほどの綺麗なCAFEで、すごい勢いでお土産を買う日本人の姿と、遺跡周辺でお土産を売り歩く子供たちを無視して歩く日本人の姿が、同一だとはとても思えない現実!


「この国の子供たちが喜ぶモノは何なんだろう?」


結局、その疑問の答えは旅行中も今も解決でずに今後の課題となりました。




バンテアイスレイ遺跡。

ここは、遺跡郡の中でもかなり古いモノだそうです。




オールドマーケット。

現地の市場です。

何人かが、ここで腕時計(偽モノ)を面白がって買ったら、日本に帰る前に使えなくなってたようです。
(液晶の表示が薄れてきたり、最初から時を刻んでいないモノもあったらしいです。)


この市場、入った瞬間に独特なニオイがしてました。

肉や魚や果物や、生活に必要なモノがごちゃ混ぜになったニオイかな?


ここに有る物が食卓に並ぶという事が、ちょっと想像しずらい光景でした。


カンボジアに入って一番最初に食べた魚料理に使われていた魚を、ここで発見した時はちょっと目を逸らしたくなりました。




街の片隅にある普通に立っている木がホントに大木ばかりで、大きな力を感じます。




シェムリアップ上空です。

2日間のアンコールワット観光もこれでおしまい。

同じカンボジア内でも、首都のプノンペンへ飛行機で移動。


プノンペンへ入る日本人が極端に少ないせいか?日本語のアナウンスが無く、気付いたらシートベルトを忘れてました。




飛行機の上だと、夕日も綺麗に見えます。

相変わらずプロペラ機でした。

こっちの方では、これが当たり前の様です。





プノンペン上空です。

以前読んだ本で出てくる街なので、色々な意味で楽しみなトコロでした。

「P.I.P」

「D.O.D」

この本のサワリくらいは経験できたかな?




プノンペンに入り、さっそく夜ご飯。

川沿いの綺麗なレストランでした。


この街では一泊。




この日、呑みすぎたせいか?悪いモノでも食べたせいか?

腹痛で夜は、まともに眠れませんでした。



旅行の前に予備知識としてあったので、このタイミングで腹痛とは!?

次の日からは絶望的な状況でした。

今日の朝ごはん。



今日は関市でも朝から雪でした。





そのまま、土岐市まで帰ってきても、やっぱり雪でした。


たまごが沢山有ったので、オムレツ作って見ました。

中心がくっ付いてしまい、ちょっと形が崩れてしまいました。

でも、味は美味しかったです。


シンプルなほど難しい!

卵料理は、ホントに奥が深いです。



今日は、朝から時期ハズレの雪が降ったり変な天気だったのですが、午後には揺れたな~と思ったら日本中大変な事になってました。

まだまだ、被害が大きくなりそうですね。

2011年3月10日木曜日

第2日目。03/02


カンボジア・シェムリアップのホテルです。

今回泊まった3つのホテルの中では一番きれいでした。

高級リゾートに来たみたいな感じでした。



この日は、アンコールワット遺跡郡の観光です。



アンコール・トム遺跡、「南大門」





「パイヨン寺院」




菩提樹の大木です。

この国は、常夏なせいか普通に立っている木がホントに大きかった。





「象のテラス」

その昔の王様が、象に乗る為のちょっとした高台です。




「タプローム寺院」


ゲームと映画になった「トゥーム・レイダー」の世界そのものでした。




随分古いので、大木に侵食されてジャングルになりかけてます。



小さく見えるのが、人です。

木の根に覆われているのが、その昔の石で造られた遺跡です。




今に到るまでに、カンボジアはタイとで戦争を何度か繰り返した為に、お寺の仏様やら随分破壊されてしまった様です。

未だに、タイとカンボジアの国境付近では、いざこざが絶えないそうです。






アンコール小児病棟です。

今回の旅の一つの目的に、日本から持って行った「ガーゼ」をこの病院に直接寄付する事がありました。


こういう国では、現金の寄付をしても途中に居る人たちが持っていってしまうらしく必要なところまで行き渡らないのが現状らしく、必要としているモノを目の前で直接渡さないとダメなのだそうです。

例えば、鉛筆とかノートとか。


学校を建てるための寄付金も良いのですが、実際は建てた後のケアが大事なのです。




アンコール・ワットのお寺です。

老朽化が進み、随分修復中の箇所が有りました。

少しずつ見れない場所が増えているらしいです。




アンコール・ワットの夕日です。

バケン山に登って、その頂上にある遺跡から撮影。





雲が多かったので、諦めて帰りかけた瞬間に遺跡の隙間から綺麗な夕日が微かに見えました。