2011年10月31日月曜日

チェルノブイリでの健康被害。

東京新聞:チェルノブイリ 健康被害、事故の4~5年後:社会(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011103102000165.html

放射線量は事故直後の三十分の一程度に下がったが、被ばくが原因とみられる病気はいまだ多い。日本では、放射線を浴びると、がんになる確率が高くなるといわれる。現地では、がんよりも、心臓病や脳梗塞、糖尿病、免疫不全になる人が大多数。子どもの糖尿病も目立つ。

…。


>この状況でも、健康被害を認めない人が多いのコトが、理解に苦しみます。


 まるきゅ~@九拝





2011年10月30日日曜日

絵に描いたモチ。

安全性の保証も無いまま「計画案」が、出来上がる。

やってみて、間違いに気付いた時には、責任者は居ない。


原子力行政は、その「いたちごっこ」です。


ソンをするのは、何時も「気の良い山村住民」です。


 まるきゅ~@九拝

原発が必要無いワケ。

来夏は電力制限令回避へ 政府の行動計画案判明 - 47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102901000781.html

節電を促す電気料金体系をつくったり、再生可能エネルギーや省エネ設備を増やしたりして、来年夏には電力使用制限令の回避を目指すとした。

…。


>最初から、やってれば事故なんか起きなかったのにね。

散々指摘されてたコトです。


勝手な思い違いで、「必要悪」だとされてたコト。


必要性が無くなれば、ただの「悪」です。


 まるきゅ~@九拝



2011年10月29日土曜日

1面全てが。

全ての記事が、電力に絡んでいるとは。


正に「電力王国」。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月28日金曜日

良いな~。

これ、やってみたいな~。


どの原発も近くなるとすぐ分かった。「街の景色が一変する」→立派だった。

一方で街は静か。「シャッター商店街ばかり。」


>体で感じた人の言葉は、重いですね。


 まるきゅ~@九拝



日本で一台。

この状態で、市販されているそうです。

社長さんの趣味だそうです。

中身は、子会社『Z』のエンジン、縦置きミッッドシップでした。

リヤビューが、ホントに迫力ありました。


趣味だね~。


もひとつ、面白そうな車。

http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/20111025_481652.html

>日本では、絶滅してしまったクラスですね。


まるきゅ~@九拝


福島原発のセシウム、東電推計の20倍か。

時事ドットコム:海洋流出、東電推計の20倍か=福島原発のセシウム−仏研究所

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2011102800074

単独の事故によるものとしては過去最大規模という。このうち82%は、事故が起きた原子炉を冷やすための放水によって4月8日までに流れ出たとされる。(2011/10/28-06:36)


>あれだけ掛けたら、流れるトコ行くわな。


海産物の濃縮も始まってます。

福島原発100キロ圏、サンマ禁漁決定 - 日本経済新聞

http://news.google.com/news/url?sa=t&fd=R&usg=AFQjCNHbQNCo8JXMF0isTlob3QeADCag_g&url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g%3D96958A9C93819695E2E5E2E7998DE2EAE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at%3DALL


>何故か元記事消されてました。

怪しすぎ、キャッシュに一部残ってました。


サンマの漁業者でつくる全国さんま棒受網漁業協同組合(全さんま、東京)は8日までに、都内で理事会を開き、福島第1原発から半径100キロ圏内の海域での操業を禁止することを決めた。 理由について、全さんまは「消費者に安全安心とはっきりさせるため」と説明した。これまでは同海域での操業を自粛する...。


潰された記事。


 まるきゅ~@九拝



2011年10月27日木曜日

トルコ大地震、韓国の原発輸出に影響必至

http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=020000&biid=2011102537648

しかし、今回の大地震で、トルコ政府の原発プロジェクトは完全に座礁する可能性が高いと原発業界は見ている。

…。


>そういや、ドジョウが輸出したいって言ってたな~。

しかも、事故が起きたら被害を保証するとまで密約を交わして?


 まるきゅ~@九拝







久しぶりに、食べログ。

新鮮レタスの山盛りサラダ。

ささや「黒毛和牛焼き肉丼」

玉ねぎが、甘かった♪


まるきゅ〜@九拝

2011年10月26日水曜日

中日新聞:震災がれき、汚染関係なく拒否 中津川市が方針転換:岐阜(CHUNICHI Web)

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20111025/CK2011102502000100.html

また土岐市は24日、県に対し「市の条例に基づき、放射性物質に汚染された廃棄物は受け入れられない」と回答した。

…。


>各地受け入れ拒否。

地元の感覚としては、ひと安心。


でも、現地の瓦礫の姿を見てる者としては、複雑な感じです。


何を選んでも、誰かか困る。


困るのが自分で無ければ、それで良い?


 まるきゅ~@九拝

誤って。

東海第2原発で水漏れ圧力容器から64トン : nikkansports.com

http://www.nikkansports.com/m/general/news/f-gn-tp0-20111026-855000_m.html

[2011年10月26日14時19分]

 日本原子力発電は26日、定期検査中の東海第2原発(茨城県東海村)で、原子炉圧力容器の下部にある水を止める板のねじを誤って緩め、放射性物質を含む水が格納容器に漏れたと発表した。外部への放射性物質の漏れはないが、作業員4人が水をかぶった。

…。


>こんなコトが、当然のように起きるシステムです。

今までは、問題にならないように隠してただけです。


「安心・安全」?


 まるきゅ~@九拝

どこも、かしこも。

トルコ地震で、隣国アルメニアの原発に被害

http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=22102#.TqdTf4PtKOw.twitter


>放射能漏れ。


は~ッ。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月25日火曜日

これからの世代に求められるモノ?

ジブリが協力してるんだ。

「さよならの夏~コクリコ坂から~」





「我々の世代貯めに貯めた、『負の遺産』を後は任せる!」



やってられっか!!


日本のメディアがこれを伝えられないのは、自分達のヤッてた事が否定されるのが怖いから。


目を逸らしているのです。


今求められている事は、「懺悔」の心。



今を「幸せだ」と、心のそこから感じるコトができてますか?


まるきゅ~@九拝

2011年10月22日土曜日

柏市27万6,000ベクレル/kg検出

【汚染】千葉県柏市の空き地57・5マイクロシーベルト、土壌調査の結果 地表面からセシウム15万5,300ベクレル/kg、地表から30cm下で27万6,000ベクレル/kg検出 | SAVE CHILD

http://savechild.net/archives/10766.html

【汚染】千葉県柏市の空き地57・5マイクロシーベルト、土壌調査の結果 地表面からセシウム15万5,300ベクレル/kg、地表から30cm下で27万6,000ベクレル/kg検出

…。


←これです。


 まるきゅ~@九拝

ノロウイルス:

柏の小学校で集団感染、学級閉鎖 /千葉(毎日新聞) - Y!ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/smartphone/hl?a=20111022-00000087-mailo-l12

毎日新聞
10月22日 11時36分配信
 柏市保健所は21日、市立名戸ケ谷小でノロウイルスによる感染性胃腸炎が集団発生したと発表した。児童32人と教職員2人がおう吐や下痢の症状を訴えたが、症状は軽いという。

…。


>早すぎでしょ!

柏市と言ったら、原因は明らかですが。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月20日木曜日

こんなトコにも「虫食いリンゴ」?

オーダーが、i Pad(初代)になってました。


人件費削減?


スマートに、客の手間を増やしてるだけですね。


名古屋「源'S」


 まるきゅ~@九拝

第3の水難。

ここまで来ると、日本との因果関係すら感じてしまう。


トヨタを始め、多くの自動車メーカーの拠点が壊滅。

キャノン、ニコンも相当な被害。

その損害額は、東日本大震災以上では?


これで、国産企業と言えてたコトが間違いだったのでしょう。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月19日水曜日

テレビの力。

>確実に墜ちてます。


テレビ→インターネット

流れは明らか。


「テレビの時代」はもう終わった
視聴率トップたった18.1%と「史上最低」 - Infoseek ニュース

http://news.infoseek.co.jp/article/20111012jcast20112109785/


>電力王国最大の武器である「原発」も完全に折れてる。


>綺麗に着飾る為の「テレビ」も剥がされた。


フラフラな『裸の王さま』は、何時まで歩いていられるかな?


 まるきゅ~@九拝







未だに、ヨウ素かぁ。

横浜市で実施した食品の放射性物質検査結果について

http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/syoku-anzen/1-2/sinaisan.html


>台風15号以後の横浜、関東地方の動きが不穏。

世田谷の件も不自然。

その他の報道も、腑に落ちない点が多すぎる。


 まるきゅ~@九拝



くまもとのお米

これは、「放送事故」?


 まるきゅ~@九拝

2011年10月18日火曜日

当然そうなるわな。

「不正送金、過去最悪の2億8000万円」


>スマホの復旧が噛んでるコトは、間違い無いですね。

穴だらけだもん。


怪しいアプリと、エロ動画には、お気をつけ下さい。


 まるきゅ~@九拝

推進?反対?

記事の並び方を見るだけで、色々解ります。


右の記事、

「原発立地、寄付金」

→反対派?


左の記事、

「冷温停止」

→推進派?


 まるきゅ~@九拝

2011年10月17日月曜日

何時まで熱中症で片付ける気?

熱中症:東京のマラソン大会で23人搬送 - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/today/news/20111017k0000m040052000c.html?inb=tw


>確かに昨日は熱かったけど、真冬になってからでもそう言われるのかな。


 まるきゅ~@九拝

朝の広告。

大手はできるけれど?


 まるきゅ~@九拝

2011年10月16日日曜日

福コン。

飯坂温泉行ったな~。

良いトコでしたよ。


 まるきゅ~@九拝

10月16日 毎日新聞

後ろの方にちっちゃく載ってました。

☆プランクトンから高濃度セシウム (NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111015/k10013279031000.html


 まるきゅ~@九拝



200万ドルぽっちで?

魚は半年後の方が危険だった~1954ビキニ環礁被ばく事件の調査者が語っていた魚類の放射能汚染:『ニュースのフリマ!!』:東スポWEB-東京スポーツ新聞社


山下氏が昨年、都内で開かれた「アジア記者クラブ」の例会で語ったところでは「よく魚のはらわたを食べた人」が健康被害に苦しんだ。放射性物質は内臓に蓄積されやすいからだという。


 マグロ漁船の船員は屈強な男ぞろい。そんな体力十分な船員の中から後になって、脱毛や鼻血、歯が抜けるといった健康被害が出てきた。原因は食物だけではないだろうが、それは「ただちに」発症したものではなかったという。

 被ばく当時、日本政府は"情報遮断"を行った。

 54年5月に政府調査船を派遣して報告書も出しながら、55年1月に米政府が補償金200万ドルを出すことを決めると"政治決着"。漁民や魚介類の被害調査をやめてしまったというのだ。

http://www.tokyo-sports.co.jp/writer.php?itemid=13066


>その200万ドルが、漁民に渡るワケ無いですね。



福島原発100キロ圏、サンマ禁漁決定 - 日本経済新聞

http://news.google.com/news/url?sa=t&fd=R&usg=AFQjCNHbQNCo8JXMF0isTlob3QeADCag_g&url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g%3D96958A9C93819695E2E5E2E7998DE2EAE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;at%3DALL


>さんま、内臓までしっかり食べちゃったな~。

何故か元記事消えてました。

怪しい限りで、キャッシュに一部残ってました。


サンマの漁業者でつくる全国さんま棒受網漁業協同組合(全さんま、東京)は8日までに、都内で理事会を開き、福島第1原発から半径100キロ圏内の海域での操業を禁止することを決めた。 理由について、全さんまは「消費者に安全安心とはっきりさせるため」と説明した。これまでは同海域での操業を自粛する...


 まるきゅ~@九拝









規制値超え放射性セシウム、日光のシカ肉からも : 健康ニュース : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)

栃木県猟友会日光支部が民間機関に独自に検査を依頼し、8月下旬に捕獲されたシカの肉から1キロ・グラム当たり2037ベクレル、9月上旬に捕獲した別のシカの肉から同940ベクレルが検出された。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46781


>日光市も最近行ってきたな~。


 まるきゅ~@九拝

シンポジウム:「原発は仏の教えに背く」 永平寺「ふげん」など命名懺悔--来月2日 - 毎日jp(毎日新聞)

 西田布教部長によると、いずれも菩薩(ぼさつ)の名前に由来する新型転換炉「ふげん」、高速増殖原型炉「もんじゅ」(敦賀市)の命名に、寺が関わったという。西田布教部長は「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔(さんげ)することから始めたい」と戒めている。

http://www.mainichi.jp/kansai/news/20111014ddn041040009000c.html?PHPSESSID=c1f3130ef0f2ea568c89985123b5bd1d


>この事実は、少し前に聞いてましたが、絶対的なタブーだと思ってました。

公には出てこないコトだと。


そこまで認めた上で、懺悔すると!?


 まるきゅ~@九拝



2011年10月15日土曜日

準備は、できてますか?


"CNICJapan: 南海トラフと中部の断層帯、連動でM9も 神戸大名誉教授 日本経済新聞 10/15 http://t.co/Nw9frQOK"

--http://twitter.com/CNICJapan/status/125154749715714048


>その時は、間違いなく岐阜が支援の拠点になりますよ!!


それが、1年後で有ろうが、10年後で有ろうが、必ず来ると思います。



美濃市「よっとくれ」キノコバター


関市「キッチン杉」瑞浪ミソカツ



 まるきゅ~@九拝



直ちに影響の出る値ではありません。


録画
http://youtu.be/uJ39tmQ2w7I


10月12日 報道ステーション


「横浜は関係ないと思ってました~。」

「知識が無いので、気になりますね~。」


>名古屋の人間、岐阜の人間も同レベルの反応をするでしょうね。

残念ながら、問題が発覚してから知識をかき集めても、対応は間に合いません。


「少しくらい、良いじゃないか?」


少しと言う量が、人間の持っている感覚で「良い悪い」を計れる問題では有りません。


ここまで来たら、良いも悪いも有りません。

全ての事象は、「悪い」のです。


その「悪い」の中の、どの程度かの問題です。


まるきゅ~@九拝

気仙沼の半年。

10月4日~6日にかけて行って来た宮城県気仙沼市の現状報告。
(新潟県柏崎・刈羽)


4日朝、名古屋出発

→岐阜県瑞浪市集合

石油ストーブ120台をトラックへ積み込み。(中日新聞の取材有り)

新潟経由で仙台市へ着いたのが夜の10時でした。

仙台市内にて一泊。


5日朝、気仙沼へ。

営業中?

半年間で、いったい何が進んでいるの?

車の山の奥に残っている「鳥居」

今回の津波被害があった境界線と神社の有る場所との因果関係が指摘されました。


ここには、きっと神様が居たんですね。



半年前に同じ場所へ来た人の感想。


「随分綺麗になったよな~。」

「でも、瓦礫が一箇所にまとめてある。車が一箇所にまとめてある。その程度。」


復興とは何なのでしょう?


瓦礫の山。

車の山。

こんな場所がいたるところに有りました。


コンビニすらも仮設。

この場所にも、一年前には『生活』が有ったのでしょうか?

回りを見る限り、海水が押し寄せたことは明らかです。



それにしても、雑草はたくましい!!



昼には目的地「気仙沼のお寺」へ到着。

そこを拠点に4箇所の避難所へ「石油ストーブ」を配布。

120個って、多いと思っていたのに、あっと言う間に無くなってしまい、こんなモノなのかと。

この高台に有ったお寺は地震の被害こそ有っても、津波の影響は受けなかったようで、避難・支援の拠点に成っていました。


ここから見える景色も、説明されないと、あまり悲惨な印象は受けません。


全く海の見えない左の山の陰から『津波』が押し寄せて、左の方の作付けされていないトコロは波が来たそうです。

波が来ているところは、木が立ち枯れしているので今でもハッキリ解ります。


それでも、雑草が傷跡を少しずつ再生していきます。


10月5日 中日新聞 岐阜県ブロック版


それにしても、「気仙沼のさんま」は、美味しかった~!!



まるきゅ~@九拝

防護服の男。(2)~(12)

     ◇

 ギリシャ神話によると、人類に火を与えたのはプロメテウスだった。

 火を得たことで人類は文明を発達させた。化石燃料の火は生産力をさらに伸ばし、やがて人類は原子の火を獲得する。それは「夢のエネルギー」とも形容された。しかし、落とし穴があった。

 プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。福島第一原発の破綻(はたん)を背景に、国、民、電力を考える。

     ◇

 「プロメテウスの罠」は、数カ月にわたり長期連載します。
第1シリーズ「防護服の男」は十数回の予定です。文中はすべて敬称を略します。

2011.10.3朝日新聞朝刊
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■防護服の男(2)
 3月12日夕、菅野みずえは自宅に駆け戻り、防護服の男たちの話を避難者に伝えた。議論が始まった。

 「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ。様子をみよう」。やっと落ち着いたばかりで、みんな動きたくなかった。

 しかし深夜、事態が急変する。数台のバスが、避難所になっている公民館に入って行った。それに避難者の1人が気付く。バスの運転手は「避難者を移動するのだ」といったという。

 当時、浪江町は、逃げ遅れた20キロ圏内の町民たちを津島地区までバスでピストン輸送していた。しかし、みずえはそんなことは知らず、やはりここは危ないのではないかと思った。みずえは寝ていた人々を起こし、再び議論となった。

 多くは動きたがらなかった。しかし、一人の女性が「みんながいたら、菅野さん家族が逃げられないでしょう」といった。それで決まった。

 「車のガソリンが尽きるところまで避難しよう」

 深夜0時すぎ、若い夫婦2組が出発した。2月に生まれたばかりの乳児や、小さい子どもがいた。

 夫婦は最初、「こんな深夜に山道を逃げるのはいやだ」と渋ったが、「子どもだけでも逃がしなさい」とみずえがいい、握り飯を持たせた。

 翌13日の朝食後、再び話し合った。前夜「逃げない」といっていた若い夫婦連れが「子どものために逃げます」といった。年配の女性が、夫婦に自分の車を貸した。

 「私は1人だから、避難所でバスに乗るわ」

 夕方までには、25人全員が福島市や郡山市、南相馬市などへそれぞれ再避難した。

 みずえは近くの家で避難している人たちにも、防護服の男たちのことを伝えた。1人が笑って答えた。

 「おれは東電で働いていた。おれらのつくった原発がそんなに危ないわけねえべ」

 男は原発事故からではなく、津波から逃れてきたのだ。みずえはこれで気が抜けた。みずえと長男の純一(27)は避難を取りやめた。

 純一は避難所の活性化センターの炊き出し係で、握り飯をつくっていた。

 「おれだけ逃げるわけにいかないよ」。このとき津島地区から10キロほどの地点で、30マイクロシーベルト用測定器の針が振り切れていた。(前田基行)

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防護服の男(3)警察官、なぜあんな格好を

3月13日に菅野家の25人が出て行った後も、津島地区の避難者は大半が残っていた。

 避難指示は12日午前5時44分に10キロ圏内に拡大。1号機が水素爆発した後、午後6時25分に20キロ圏内に広がった。

 しかし官房長官の枝野幸男は12日夜の記者会見で、「放射性物質が大量に漏れ出すものではない。20キロ圏外の地域の皆さんに影響を与えることにはならない」と語った。

 要するに、たいしたことはないが念のため避難してくれ、という趣旨だ。人々は30キロの津島地区は安全だと信じていた。

 東電の社員が12日と13日に浪江町の津島支所を状況報告に訪れた。彼らは防護服ではなかった。「ここは危ない」ともいっていない。菅野みずえが会った男たちの様子とは大きく違っていた。

 役場職員も区長も、みずえの会った防護服の男を見ていない。しかし、みずえは見聞きしたことをしっかりメモに書きとめていた。

 15日早朝、前日の3号機に続いて、2号機で衝撃音がし、4号機が爆発した。政府は初めて20~30キロ圏内の「屋内退避」を要請する。

 津島地区の住民が避難したのはそのころだった。町長の馬場有らが14日の3号機の爆発をテレビで知り、隣の二本松市に15日から自主避難することを決めたのだ。

 福島第一原発の正門では、15日午前9時に毎時1万1930マイクロシーベルトの高い放射線量が観測された。それでも枝野の発言は楽観的だった。

 「放射性物質の濃度は20キロを越える地点では相当程度薄まる。人体への影響が小さいか、あるいはない程度になっている」

 「1号機、2号機、3号機とも今のところ順調に注水が進み、冷却の効果が出ている」

 原子炉が12日のうちにメルトダウンを起こしていたことが国民に知らされるのは、後になってからだ。

 12日朝、浪江町で交通整理などにあたる警官が、防護服を着用した。

 「警官はなぜあんな格好をしているのか」

 住民は不安を抱いた。浪江町議会議長、吉田数博(65)は津島地区の警察駐在所を訪れ、「不安を与えるので防護服は着ないでほしい」と要請した。

 吉田はいう。

 「知らないのはわれわれだけだったんだ」(前田基行)

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防護服の男:4 殺人罪じゃないか

 SPEEDI(スピーディ)というコンピューター・シミュレーションがある。政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、漏れた放射性物質がどこに流れるかをたちまち割り出す。

 3月12日、1号機で水素爆発が起こる2時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターがそのシミュレーションを実施した。

 放射性物質は津島地区の方向に飛散していた。しかし政府はそれを住民に告げなかった。

 SPEEDIの結果は福島県も知っていた。12日夜には、東京の原子力安全技術センターに電話して提供を求め、電子メールで受け取っていた。しかしそれが活用されることはなく、メールはいつの間にか削除され、受け取った記録さえもうやむやになった。

 3月15日に津島地区から避難した住民に、県からSPEEDIの結果が伝えられたのは、2カ月後の5月20日だった。県議会でこの事実が問題となったためだ。

 福島県の担当課長は5月20日、浪江町が役場機能を移していた二本松市の東和支所を釈明に訪れた。

 「これは殺人罪じゃないか」

 町長の馬場有は強く抗議した。

 馬場によると、県の担当課長は涙を流しながら「すみませんでした」といい、SPEEDIの結果を伝えなかったことを謝ったという。

 知らされなかったのはSPEEDIの情報だけではない。

 福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量を計測している。

 同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。浪江町の2地点はほかの町と比べて異常に高い数値を示した。1号機水素爆発の6時間以上も前で、近くには大勢の避難民がいた。

 これらの数値は6月3日に経済産業省のHPに掲載された。しかし、HPにびっしり並ぶ情報の数字の中に埋もれ、その重大さは見逃された。

 8月末、浪江町の災害救援本部長、植田和夫にそれらの資料を見せると、植田は仰天した。

 「こんなの初めて見た。なぜ国や県は教えてくれなかったのだろう」

 菅野みずえはいう。

 「私たちは、国から見捨てられたということでしょうか」

 (前田基行)
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防護服の男(5) 私、死んじゃうの?

菅野みずえの家にいた25人の人々は、その後どこに向かったのだろう。

 その一人、谷田(やつだ)みさ子(62)はいま、愛知県春日井市の市営住宅で避難生活を送る。

 みずえの遠い親戚だ。同じ浪江町の小野田地区に家がある。みずえの家からは約20キロ海寄りで、福島第一原発から10キロ以内の距離にある。

 3月11日午後、自宅で地震に襲われた。

 翌12日早朝、隣の双葉町に住む次女一家が「ここは危ないから逃げるのよ」と駆け込んできた。朝9時、家を出た。

 みずえの家がある津島方向に向かう国道114号はすでに大渋滞。国道6号に出て北に進み、南相馬市小高区の長女宅に向かう。ここで1号機の水素爆発を知り、さらに全員で津島を目指した。

 みずえの家に着いたのは夕方6時を回っていた。他の避難者が炊き出しの握り飯を食べ終わったところだった。

 一日中走り回って疲れていたが、避難者の会議には出席した。共同生活ルールのうち、使用済みトイレットペーパーを段ボール箱に捨てるよう提案したのは、みさ子だった。以前メキシコ旅行をしたときの経験を思い出したからだ。

 しかし、ほっとしたのもつかの間、白い防護服の男たちの警告をみずえから聞かされた。

 生後1カ月の赤ちゃんを抱えた次女一家7人と、長女一家4人を、夜中に逃がした。翌13日夕、みさ子も発った。

 行くあてはなかったが、「少しでも遠くに」と郡山市を目指す。

 郡山市では、避難して来る人たちの放射能測定をしていた。みさ子に測定器が向けられると、針が大きく振れた。「私、死んじゃうの?」と測定係に叫んだ。

 その晩は車で寝た。15日朝、地震当時は相馬市にいた夫(54)と携帯電話でようやく連絡が取れた。会津若松市で合流し、新潟県経由で、22日、姉が暮らす春日井市に逃れた。

 国や東京電力から的確な指示が一切ないまま、12日間の逃避行だった。

 「原発は安全」。これまで、そんな説明を何度も聞いていた。それを前提とした生活がすべて崩れた。

 しかし、原発のおかげで住民が恩恵を受けてきたのは事実なのだ。「原発だけ悪いなんて、私たちはいえないのよ」。みさ子はため息をつく。(前田基行)

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防護服の男(6)ハエがたかっていた

谷田(やつだ)みさ子(62)は浪江町で生まれ育った。中学生のころ、東京電力が福島第一原発づくりを始めた。

 高校卒業後、上京して就職したが、1年半で浪江町に戻った。そのあとは東電一色の生活だった。

 結婚し、3人の子を育てながら焼き鳥屋をやった。客は原発で働く作業員たちだった。

 その後は東電の社員寮に勤める。

 昨年の夏まで10年間働いた。食事をつくり、若い社員らに「やつだっち」と呼ばれて慕われた。女子寮には、女子サッカーのなでしこジャパンで活躍した鮫島彩選手らがいた。「みんないい子でかわいかったです」

 子供たちの手が離れてからは、東電の管理職の寮に住み込んだ。

 思い出すのは選挙の時の東電の力の入れようだ。

 町長選挙や県議会議員選挙があると、寮の食堂が東電幹部らの待機場所となった。支援候補が当選すると、幹部はそろってお祝いに駆けつけた。「電力会社は政治とがっちりつながっているんだな」と感心した。

 これまでの人生の半分以上を東電とかかわってきた。にもかかわらず、今度の事故では東電から何の情報もなかった。

 愛知県春日井市に避難してからはいっそう情報が入らなくなった。福島県の地元紙を郵送してもらい、隅から隅まで目を通す。

 これから生活はどうなるのか。補償はどうなるのか。不安だらけだ。

 6月、浪江町の家に一時帰宅した。冷凍庫は地震でひっくり返ったままで、腐った食材にハエがたかっていた。

 8月末、自分の車を引き取りに再び福島に戻った。夫が車を運転し、春日井市から高速道路で8時間かかった。広野町の体育館で防護服に着替え、用意されたバスに乗り込んだ。

 バスが止まると、首輪をつけた2匹の犬が足元に寄ってきた。途中、道ばたで猫が2匹死んでいるのを見た。

 「一歩間違えたら、私たちがああなっていたのかな」

 事故後、長女は郡山に、次女は新潟に、家族は散り散りになっている。

 9月、福島県の仮設住宅に入居を申し込んだ。

 「福島は何十年も暮らした土地ですから。戻りたい」。涙がこぼれた。(前田基行)
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防護服の男(7) 早く東京へ来なさい

東京に住む娘の携帯電話の指示で転々と避難を続けた者もいた。菅野みずえの家に避難した門馬洋(もんま・ひろし)(67)と昌子(しょうこ)(68)の夫婦だ。

 自宅は浪江町の権現堂地区で、原発まで10キロない。3月12日朝、町の防災無線が「津島に逃げてください」と避難を呼びかけた。車で知り合いのみずえの家に避難した。

 菅野家には昼前に着いた。昌子はみずえの炊き出しを手伝い、お握りを握った。夕食後、25人の避難民たちが自己紹介しあった。知り合いが何人もいた。

 みずえから白い防護服の男たちの話を聞かされたときは、夫婦はずるずる居残った。

 しかし、翌13日朝、再びみずえから逃げるようにいわれ、昼前に菅野家を出発した。

 とにかく北へ逃げようと、南相馬市を目指した。コンビニも商店も閉まっていた。レストランを見つけた。納豆定食が残っていたので、それを食べた。3軒のホテルに断られ、ようやく見つけたホテルに泊まった。

 14日夜、福島空港から飛行機に乗り、15日に東京の長女と合流した。

 長女の真理子(36)は地震のあと、両親の携帯を呼び続けた。11日の地震直後に、一度通じただけで連絡が途絶える。あとはメールだけだった。

 しかし、メールの返信も途絶えた12日の午前8時43分。

 「お父さんとお母さんの無事を神様にお祈りしています」

 テレビやインターネットで、原発事故の新しい情報を必死で探し、両親に送り続けた。

 1号機が水素爆発した12日の午後9時。真理子はテレビで専門家が「大丈夫」と言っているのを聞いた。「爆発は外壁だけで、放射能をまき散らすものではなかったと判明」。そんなメールを送った。大変な誤りだった。

 両親が南相馬市に再避難した13日には「女川原発まで放射能が飛んでいる。そこも危ない。東京に来なさい」。

 そして14日の正午。「3号機が11時半に爆発した。早く東京へ」

 父は「そこまで行かなくてもいいじゃないか」と返してきた。真理子は「とにかく早く来なさい!」と叱った。

 責任のある人たちは、だれも両親を助けてくれようとしなかった。真理子にはその不信感だけが残る。(前田基行)

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防護服の男(8) 「ふるさと」歌えない

 菅野みずえの家に避難した門馬洋(67)は元高校教師だ。福島第一原発がつくられた40年前から反原発運動にかかわっていた。

 当時住んでいた楢葉町(ならはまち)の町営住宅に、住民3人が集まって始めた運動だ。県知事や町長らに危険性を訴え続けた。東京電力とは数年前から毎月1回交渉し、3月22日も交渉が予定されていた。

 原告404人で隣の福島第二原発について裁判を起こしたが負けた。そのとき仙台高裁の裁判長が述べた言葉を今もはっきり覚えている。

 「反対ばかりしていないで落ち着いて考える必要がある。原発をやめるわけにはいかないだろうから」

 それから21年。原発は安全だという幻想はあっけなく崩壊した。

 「東京電力の想定がいかに甘いか。そのために多くの人に、どれだけの被害を与えたか。いったいどう責任を取るつもりなのか」

 しかし、浪江町が今回の事故で「殺人行為だ」と国や東京電力を非難していることについても、同様に違和感がある。

 浪江町にも、東北電力の原発建設計画が40年前からあった。浪江町議会が誘致を求めていたものだった。

 昨年、町内会の会合で町議が洋を見ながらいった。「原発で浪江町の未来は明るくなる。門馬先生は反対でしょうが……」

 7月に一時帰宅したとき線量を測った。家の近くで毎時4マイクロシーベルトあった。

 畑には大きな柿の木がある。長女の真理子(36)が生まれたときに植えたものだ。300個以上の実をつけた年もあった。

 「もう実がなっても食べられませんね。汚染されてしまったから」

 30年ほど前、町内の体育館を借り、東京の劇団を呼んで放射能漏れ事故をテーマにした劇をやったことがあった。原発事故で町民が逃げ惑うというストーリーだった。それが現実になった。

 夫婦は東京都北区の団地に身を落ち着けている。

 家賃は13万5千円と高いが、長女の家の近くに住むため、そこに決めた。東京電力からもらった仮払金100万円を家賃の支払いにあてる。

 洋は福島にいたころから合唱が好きだった。7月、北区で合唱団の催しがあるのを知り、妻の昌子(68)と参加してみた。

 兎(うさぎ)追いしかの山、の「故郷(ふるさと)」を歌った。洋も昌子も途中で歌えなくなった。(前田基行)

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防護服の男(9)

 浪江町の赤宇木(あこうぎ)地区に住む三瓶(さんぺい)ヤスコ(77)は隣の飯舘村から嫁いで55年になる。菅野みずえとは公民館の民謡サークル仲間だ。

 ヤスコは8月初めまで、細い山道を上った一軒家に1人で住んでいた。

 地震直後は、神奈川県の孫娘の1DKのアパートに、富岡町の長女と孫息子の3人で避難した。

 しかし、隣室の食事の音まで聞こえる。周りにも気を使う。「この年になると都会の生活は合わない」。犬と猫のことも気になり、4月末に赤宇木に戻った。

 そのころは、まだ地区に数世帯が残っていた。そのうち1軒減り、2軒減り、誰もいなくなった。警察が30キロ付近で通行規制を始めると、車も通らなくなった。

 さみしくなった。夜は真っ暗だ。何も考えないように思っても手が震え、食べ物がつかえた。

 気晴らしに近くをドライブした。しかし、帰り道はどの家も明かりはない。山道を落ちてもだれも助けにきてくれないと思うと、ドライブが怖くなった。

 日曜になると、背中に「文部科学省」と書かれた作業服の男たちが、地区に放射線量を計測にきた。ヤスコは車がくると出て行き、「今日はなんぼですか」と尋ねる。

 「15マイクロシーベルトだよ」。男は気軽に教えてくれた。

 「私の家も測ってくれんかね」

 別の日、男は家の周辺を測ってくれた。家の外で10マイクロシーベルト、居間で5.5マイクロシーベルトあった。平常値をはるかに上回る量だ。

 男はそれを紙に書いてヤスコに渡した。

 6月初めのある日曜日、男がポツリと言った。

 「今だからいうけど、ここは初め100マイクロシーベルトを超していたんだ。そのときは言えなかった。すまなかった」

 その後も、男は「参考にして」といって、各地域の放射線量が書かれた地図をヤスコにくれた。

 だが、ヤスコは8月初めまで赤宇木にとどまる。

 「放射能は目に見えるわけでないし、数値を聞いてもよく分からなかったのよ」

 8月初め、二本松市の仮設住宅に当たったため、赤宇木を出た。

 しかし、今も2日おきに、約25キロ離れた自宅まで車で通う。

 犬と猫にえさをやるためだ。

(前田基行)

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防護服の男(10)口止めされた警察官

関場和代(52)は3月14日、会津若松市の親類宅に避難した。家は菅野みずえの家に近い浪江町南津島にあった。

 その後も避難指示がないため4月2日、ひとまず自宅に戻った。数日して、家の前に自衛隊のジープがとまり、隊員が降りてきた。安否確認で来たという。

 そのころ浪江町の放射線量が高いことが報道されていた。それが心配で、おそるおそる尋ねた。

 「この辺の線量はどのくらいですか」。隊員はにっこり笑い、ここは大丈夫だと答えた。

 「私たちは線量計を付けています。1日にどのくらい線量を浴びたか分かるんですよ」。和代はそれで安心した。家に閉じこもるのをやめ、近所に出かけていった。

 4月17日。近くの橋の上にいると、男が近づいてきた。フリージャーナリストの豊田直巳(55)だった。和代が、自宅の線量を測ってほしいと頼んだ。豊田は敷地のあちこちを測りはじめた。

 玄関の雨どいの下を測ったとき、豊田が「ワッ、これは大変だ!」と叫んで立ち上がった。

 ためらう豊田に、和代は「本当のこといってください」と頼んだ。

 「2時間いたら、1ミリ吸います」と豊田は答えた。

 豊田によると、そのときの線量は毎時500マイクロシーベルトを超えていた。2時間いただけで年間許容量の1ミリシーベルトを超える値だ。

 具体的な数字を初めて聞かされ、大変なことだと初めて自覚した。和代はあわてて身支度し、豊田に見送られて家を飛び出した。

 数日後、ネコを引き取りに再び家に帰った。警視庁のパトカーが敷地に入ってきた。

 「ここって高かったんですね」と30代ぐらいの警察官に聞いてみた。

 「そうなんです、高いですよ。でも政府から止められていていえなかったんです」

 警察官はそう答えた。

 和代はびっくりした。ジープの自衛官がいったことは何だったのか。

 「もし自分の家族だったら、同じことがいえますか。真っ先に逃がすでしょう。私らのことは、しょせんひとごとなんですかね」

 7月、中国の高速鉄道事故で証拠隠しが発覚した。日本のメディアは中国政府の対応を厳しく批判した。和代は腹が立ってくる。

 「日本だって同じじゃないの」(前田基行)
 
*2011.10.13朝刊

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防護服の男(11) あの2人のおかげで

菅野みずえの家に避難した25人は、「白い防護服の男」の情報とみずえの判断でそれぞれ再避難し、危険な状況から逃げることができた。

 大量の放射性物質が飛び散り、住民が被曝(ひばく)するかもしれない緊急の時期だった。しかし政府も東京電力も、それを住民に教えなかった。

 しかし25人は、混乱を起こすこともなく、冷静に動いている。

 みずえは今、福島市に近い桑折町(こおりまち)の仮設住宅で暮らす。

 「ほら、見てください」。みずえは空き地で遊ぶ子どもたちを指さす。

 「あんな小さな子が、避難生活の苦労を背負ってこれから生きていくんですよ。もし被曝していたら……」

 それにしても、あの白い防護服の男たちは一体だれだったのか。みずえは今も考える。

 そのころ福島県内は、文部科学省や福島県、日本原子力研究開発機構、東京電力、東北電力などの計測車が走り回っていた。

 例えば新潟県からの応援車もきていた。3月12日夕のちょうどその時刻、津島地区を通っている。

 新潟県の職員2人は、原発事故対応の支援のため、ワゴン車に乗って福島県に入った。114号を浪江町に進み、津島地区を通った。午後4時ごろ、その先の川房地区で警官に止められて引き返している。

 その職員に話を聞くことができた。ただ、内部被曝してしまったので、名前が出るのは困るとのことだった。

 職員によると、当時、測定器は激しく鳴りっぱなしで、焦っていた。

 津島地区を通ったとき、車がたくさん止まっていたので避難所だと思った。

 「防護服? いいえ、着ていませんでした。車を降りてもいません」

 14日未明には、放射線医学総合研究所のモニタリングカーが津島地区を通過している。まだ大勢の避難民がいたころだ。

 車には測定器などを積み込んでいたが、「資材を運ぶのが目的だった。放射線量は測っていない」(広報課)という。

 みずえが会った2人は、そうした計測チームの一つだった可能性が高い。

 「あの2人の警告のおかげで逃げられた。それをなぜ国や東京電力は組織としてしてくれなかったのだろうか。もっと多くの人が逃げることができたのに」(前田基行)

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防護服の男(12)区長は逃げなかった

菅野家の25人が再避難した3月13日、下津島区長、今野秀則(64)は、家を訪ねてきた菅野みずえから白い防護服の男の話を聞かされた。

 しかし、逃げなかった。確かな情報もなしに右往左往すべきではないと思った。なにより、区長として先に逃げるわけにいかなかった。

 3月15日の午前10時。津島支所の対策本部に呼ばれ、支所が二本松市に避難すると告げられた。

 なぜだ。原発から30キロ離れた津島は安全のはずではなかったのか。しばらく事態がのみ込めなかった。

 そのとき、テレビが政府の会見を放映していた。20~30キロに屋内退避の指示。職員が食い入るように画面を見つめている。これなのか。

 午後から下津島の50軒を1人で回り、避難を呼びかけた。

 大半の家はカーテンが引かれ、避難していたが、10軒が残っていた。避難を促したが、拒まれた。3軒は「牛がいるので避難できねえ」といった。寝たきりの老人もいた。

 今野は妻(55)と長女(23)を先に逃がし、そのまま津島に残る。

 大勢の避難民でごった返した地区から物音が消えた。夜、雨が雪に変わり、路面は真っ白になった。静かだった。

 昨日はたまたま留守だった家があるかもしれない。16日、もう一度、50軒を回った。いったん避難した5軒が戻ってきていた。

 妻が車いすで、避難所ではトイレに行くのも大変だから帰ってきた――。1軒で、老夫婦がそう答えた。夫は「いいんだよ放射能なんか。もう年だし、ここで生活する」といった。今野は、車いすでも不自由しない別の施設をさがして伝えた。

 「地域が消滅してしまう」

 無人となった地区を車で走りながら、今野は悔しかった。

 今野は元県庁職員で、今後は地元の伝統芸能保存活動に力を入れるつもりだった。しかし、そんな老後の夢は消え去った。

 今野は町から測定器を借り、7月から毎月、地区の一軒一軒の放射線量を測り、その住人の避難先に郵送で知らせている。

 県や町からいわれたわけではない。防護服の男の話を聞いたとき、津島が高い線量だと知っていたら、もっと強く避難を呼びかけたのに……。そんな後悔があるからだ。

 ひと月前と比べ、どの家の軒先も雑草が生い茂っている。3年前に亡くなった父が大事に育てていた庭の植木も枯れた。(前田基行) 





「薔薇、または陽だまりの猫」より転載


http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form


>久しぶりに読み応えのある記事でした。

あの時、福島のある町で起こっていた、25人の真実

■防護服の男 (1)

(記事中の敬称は略しています)


福島県浪江町の津島地区。

東京電力福島第一原発から、約30キロ北西の山あいにある。


原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。

小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。


菅野(かんの)みずえ(59)の家にも、朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。

多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。

築180年の古民家を壊して、新築した家だ。

門構えが立派で、敷地は広い。

20畳の大部屋もある。

避難者を受け入れるにはちょうどよかった。

門の中は人々の車でいっぱいになった。


「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」

人々はとりあえずほっとした表情だった。


みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。

着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。


夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。

一、炊事や配膳はみんなで手伝う。

一、お互い遠慮するのはやめよう……。


人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。

みずえは家にあるだけの布団を出した。


そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。

中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。

しかしよく聞き取れない。


「何? どうしたの?」

みずえが尋ねた。


「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」


みずえはびっくりした。

「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」


車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。

「放射性物質が拡散しているんだ」

真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。


家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。

2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。

2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。

役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。


政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。

なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。

だいたいあの人たちは誰なのか。


みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form


>以下(12)まで続きます。

朝日新聞に掲載された記事まとめです。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月13日木曜日

これで、安全宣言?

10月初旬飯舘帰村顛末記9:留守中依頼していた直播稲の放射能検査の結果が出ていた。驚くなかれ玄米で2194ベクレル/KGを検出し規制値の4倍強。あまりにも高いので念のため再検査を手配した。尚、この田んぼは残念だが今週中にトラクターで刈り込むので新米は猪の餌になる運命。"
http://twitter.com/#!/A1271/status/124278080457015297

>子供に毎日食べさせて良い、値じゃないですね。


500ベクレル以下?


 まるきゅ~@九拝





かふぇ発見。

本日、2件目!

高山の隠れ家的?

飛田牛も堪能♪


あとは、〆のラーメン?


 まるきゅ~@九拝

高山なう。

ちょっと時間が空いたので、街中探索。


 まるきゅ~@九拝

趣味だね〜♪

名古屋→高山

「湧き水の珈琲」

平日の昼間で貸し切りでした。


まるきゅ〜@九拝

比較の対象が?

中日スポーツ


テレビでの街頭インタビュー

「福島の人達と比べたら」

「飯館村よりも高い」


>町の人も司会者もコメントが、低レベル。


解って言ってんの?

解ってんなら、貴方に「こころ」は有りますか?


 まるきゅ~@九拝

発送電の分離。10/13

中日新聞に、ついにこの人が登場。

旧時代の負の遺産が崩れようとしてます。

必死の抵抗をしてますが。


 まるきゅ~@九拝



2011年10月12日水曜日

だんな、今だったら筒抜けですゼ!!

河野太郎

「すげぇ、びっくりすること」

http://www.taro.org/2011/10/post-1100.php

2012年春の核セキュリティサミットに向けて、


「テロリスト発見したら、どおするの?」

「すぐに連絡を入れます。」


「どこに連絡するの?」

「えっ、...。」

(正解は海上保安庁らしい)


答えられない?



>どこまで平和ボケしてんだ、この国は!!


まるきゅ~@九拝


「おなかがいたくなった原発くん」10/12



>随分エグイ表現ですこと。


こどもにうけそう。

それを目的で作られたようですが。


何がすごいかって?


3月15日にアップしていること。

完全に著作権侵害してるのに、未だに消されていないこと。

翻訳までして、世界中に拡散してること。


その頭の回転を別の事に使ってほしいですね。


まるきゅ~@九拝

2011年10月10日月曜日

たまに食べたくなります。

横綱ラーメン

>身体に悪そう。

「鉄板チャーハン」は、初めて見ましたが、自分でタマゴを乗せて作るとは!


 まるきゅ~@九拝

2011年10月8日土曜日

あかりアート追写。






撮影機材、「DP1x」

圧縮有り


まるきゅ~@九拝

あかりアートなう。

美濃市「うだつの町並み」

ちょっと肌寒いですが、明日も天気はもちそうですね。


 まるきゅ~@九拝



通りすぎた後、高かったからね。10/08

やっぱり、あの台風で撒き散らされてたんだ。

日本縦断してたしね。


紅葉の季節で、汚染の疑いの有る「落ち葉」受け入れ拒否ですか。


行政が、風評被害を拡散してどうするよ?


 まるきゅ~@九拝

2011年10月7日金曜日

へ~!!10/07

ようやく、重い腰を上げたのですね。

布教部長さん、どこまで話し通して出たのか解りませんが、大丈夫かな~?

中日新聞レベルなら大したことないけど、東京新聞圏内では相当異論も上がると思うけど。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月6日木曜日

へ~!

乙川弘文 - Wikipedia

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%9D%E5%BC%98%E6%96%87

乙川 弘文(おとがわ こうぶん、1938年 - 2002年)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州で活動した曹洞宗の僧侶である。アップル社のスティーブ・ジョブズとの交流でも知られた。


>NHKのニュース見てて、ちょっとびっくり。

我が宗門にも、少なからず「救い」が有ったのかと。


「禅」は、そんなのに良いのかな?


 まるきゅ~@九拝



何が違うのか?10/06

日本最大の禅寺|京都花園 臨済宗大本山 妙心寺 公式サイト

宣言 (原子力発電に依存しない社会の実現)

http://www.myoshinji.or.jp/


>臨済宗ヤルな~。

我が宗門は、動きが鈍すぎて顔向け出来ません。

ホントに、ヤル気無い!


 まるきゅ~@九拝







鬼怒川温泉いり。

大雨でした。

仕事終わってからで、助かりました。


 まるきゅ~@九拝

2011年10月5日水曜日

F1にゅーす。

レッドブル、放射能汚染を懸念し食料持参でF1日本GPへ

http://sportsnavi.topnews.jp/f1/news/20111004-006-170

東日本大震災による原子力発電所の事故がまだ収束していないことから、セバスチャン・ベッテルによる2年連続のタイトルが目前になっているレッドブルは放射性物質の影響を懸念し、レースチーム80名分の食料を持ち込んだようだと『Bild am Sonntag(ビルト・アム・ゾンタック)』が伝えた。

…。


>やりすぎ?

これほどのチームが、これを決断したと言う事実は重い。


 まるきゅ~@九拝



気仙沼入り。

とあるお寺にて。


初めての景色なので、どの程度復興が進んでいるのかピンとこない。

途中、山裾の木が立ち枯れしてるのを見ると、ここまで水が来たと言うこと。

それを思うと随分瓦礫は無くなったとの事ですが、まだまだ傷痕は残ってます。

まるきゅ〜@九拝

仙台の朝。10/05

ここは、普通に時間が流れてます。

当然ですが、なんとなく違和感を感じてしまいます。


 まるきゅ~@九拝

仙台へ来たら。

とりあえず、「牛タン」?


 まるきゅ~@九拝

2011年10月4日火曜日